ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村 100年の軌跡という本を読み、とても感動したので、ぜひ1人でも多くの方に紹介したくて記事にしました。
パッと読むための目次
ホハレ峠 ダムに沈んだ徳山村
この本には、岐阜県徳山村の最奥の集落に、日本最大のダムに沈んでしまった村に、最後の一人になっても暮らし続けた女性のお話です。
- 自然との共生について興味のある方
- 戦後〜高度成長期、今に至るまでの日本の暮らしに興味のある方
- 社会的テーマに関心のある方
内容はとても濃いですが、普段本を読まない方でもどんどん読み進められる文体でとても読みやすいです。
著書の大西暢夫さんとは?
大西暢夫さんは、岐阜県に生まれ、東京綜合写真専門学校卒業後、フリーのカメラマンとして活躍しています。
職人や、精神科病棟、障がい者など、社会的なテーマに多く取り組んでおり、多数の賞も受賞されてます。
ホハレ峠の最後の方に、娘さんの写真も載っており、パパとしての顔もあります!
ホハレ峠を読んだきっかけ
この本を読んだきっかけは、子どもに「お蚕さんから糸と綿と」という絵本を読んで、著者 大西暢夫さんのことを知り、
他の本も、ぜひ読んでみたいと思ったのがきっかけです。
お蚕さんから糸と綿と
うちの息子は、かなりの虫オタクで、特に蝶々が大好なのですが、
蚕のことを、もっと詳しく知りたいとのことで、大西暢夫さんの「お蚕さんから糸と綿と」を図書館で借りて読み聞かせました。
何よりも、写真の力強さと、文章の迫力がとても伝わってから絵本です。
「お蚕さんから糸と綿と」は、滋賀県と岐阜県の境にある山の麓の集落に、一軒だけ残っている養蚕農家の営みについて、子どもにも写真と文章で分かりやすく描かれた蚕の絵本です。
話が逸れてしまいましたが…元に戻します。
ホハレ峠の何が素晴らしいのか
私はこの本を読んで、自分の「幸せ」や、「生きること」とは何かというのをすごく考えさせられました。
ホハレ峠は、ダムに沈んだ村「徳山村」に最後の一人になるまで暮らし続けた女性、広瀬ゆきえさんについて、丹念な取材を重ねて書籍化されています。
春は春の仕事、夏は夏の仕事、秋はまた秋の仕事をして、食べ物のない冬に備える…。
1日、1年と食べ物のために体を動かして暮らす徳山村の人のお話なのですが、
長寿を全うした彼女の人生の中で、時代は刻々と変化していく日本の姿がありありと映し出されきます。
戦争や、高度経済成長、北海道の開拓時代、集団就職・・・
今まで、昔の日本人の生活や暮らし方など、あまり興味もありませんでしたが、どのようにして人々が家族を守り、子孫を残し、暮らしてきたのか。
文体は軽く、とても読みやすいですが、内容はとても濃く、
現代の便利さ・快適さだけを追い求めることが、本当に生活を豊かにすることなのか、とても考えさせらる書籍でした。
ホハレ峠で印象に残った言葉
特に、広瀬ゆきえさんの、この感情がとても印象に残っています。
私は先祖代々が必死に守ってきた土地で、野菜を作り、暮らしてきた。
それを、ダムを作るために、街へ引っ越してください。街に引っ越せば、生活が豊かになります。ダムの補償金で、大金も新しい家も手に入れられる。そう言われて住み慣れた家を手放し、村から引っ越してきた集団住宅地で新しい家を手に入れることになった。
だけど、20年たって、今住んでいる集団移住した新しい家も、だんだんとガタが来て、
補償金としてもらった大金も、長生きをして食いつぶしてしまった。
わしは、先祖代々が、必死で守ってきたものを、一代で食いつぶしてしまったんだ。
もし、土地を手放していなかったら、大金はなかったかもしれないが、あの土地で野菜を作り、自然とともに暮らし、土地は残すことができた。
だけど、あの村はダムに沈んでしまったんだ。もう、水の底で村には、戻ることもできない。
スーパーで100円で売っているこのネギも、わしは農家だったんだ。
買わなくたって自分で作れたんだ。
なんで悔しいんだろう。
上記文章は、読後に印象に残った言葉や気持ちを文にして繋げたもので、そのままの引用ではありません。
彼女の上記の言葉が本当にズドーンと心に響いてきました。
他にも
- 住みずらい村に住み続けること
- 自然と共生するということ
- 時代の流れに飲み込まれながらも生きていく強さ
など感動したシーンはいくつもあります!
ぜひ、一人でも多くの方に読んでもらえたらと思います。